私たちはこれからどのような身体を目指していけばよいかを考えていきたいと思います。どんな身体を目指すのかといえばそれは当然、「健康な身体」ということになるでしょう。私自身もみなさんに「健康な身体」になってほしくて、この仕事に就き、学び続け、サービスを提供しているわけです。

なぜ「健康な身体」になりたいか、またなぜ私は「健康な身体」になってほしいか、というとその方が楽しく快適に人生を過ごすことができるからに決まっています。病気になったり体調がすぐれないと痛いし苦しいですからね。

しかしそこに問題があります。それは健康であること、すなわち「異常がない」と「痛み苦しみがない」は一致しない、ということです。もしくは一致するだろう、と信じていることです。

またたとえ健康を達成できるからといって、ストレッチとジョギングをし、仕事前に瞑想し、オーガニックフードで作った弁当を食べ、カロリー制限し、プロテインとサプリメントを摂取する日々を選ぶことは楽しく快適な人生なのでしょうか。

もちろん「イエス」と言える人も中にはいるでしょう。でもきっと大半の人は私と同じように「ノー」でしょう。ポテトチップスを食べたいし、ぎりぎりまで寝ていたい。飲み会に行ってみんなと同じ物を飲んだり食べたりしたいと思うはずです。

我々のような健康産業は「健康のために○○すべき」を押し付けているのかも、と思うことが多々あります。ヘルスハラスメント、ヘルハラですね。健康を達成するために痛みや苦しみ、我慢を与え、楽しみ、快適さを奪うことを正当化している可能性さえあるのです。

たしかに楽しみ、快適さを犠牲にすることである種の病気を避けることができるのかもしれません。しかし楽しく快適に過ごすための健康なのに、日々の楽しく快適な一瞬一瞬を大切にしないことは本末転倒であると言えます。したがってココから整体としては人生を充実させる様々な要素を度外視して「健康」を強いることに疑問を持たなければならないと考えています。

では「健康」以外にどのような要素を考えなければいけないのでしょうか?それが今回のテーマです。

病気や不調、障害はなおして健康になるべき、という社会的な圧力が働きますが、これは非常に苦しいことです。

なぜなら身体の細胞は有限だからです。誰しもが大なり小なり身体に欠陥を持ち、細胞が分裂する度に老化し、消耗し、傷が蓄積していく「なおらない」ものなんです。

特に退行性病変と言われる加齢に伴う疾患や治療の有効性が確立されていない難病では「どうしたらなおるか?」と考えるよりも「どうしたら健やかさを得られるか?」「どうしたら今の不利益は解消されるか?」という点にコミットすることが非常に役立ちます。