私たちが何の疑いも無く、日頃から口にしている「健康」という言葉は実態がつかめません。果たしてどんな人が健康と言えるのか?そもそも健康な人は存在するのか?どのような条件に達したら健康であると決定する事ができるのか?

WHOでは健康をこのように定義しています。

「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全な状態であり、単に病気がないとか虚弱でないということではない」(Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity)

まず身体だけの問題ではないということですね。精神的、社会的な面も関与しています。完全な状態・・・とはどんな状態でしょうか。

私たちは(たぶんWHOも)本当のところ、健康って何なのか知りません。「健康のために」と言いながら商売している我々のような人間もラディカルな問い無しでなんとなく使用している言葉です。そのような言葉は至る所にあります。家族や恋人がいても「愛」とか「絆」が何かわからないし、職についていても「労働」や「資本」の本当の定義はよく知りません。ただ知らなくても何となく使い所はわかるし、コミュニケーションをとる上で困らないのでよく考えたことがありません。「そもそもそれってどういう意味なの?」とむやみに言わないこと、形のない概念にいちいち「何?なぜ?」と聞かないこと、それが空気の読めるオトナになるという事です。

そこで今回はこどもに戻って健康ってどんな状態なの?それって誰が決めたの?なんでなんで?と考えていきたいと思います。

健康という概念の誕生

「健康」は江戸時代以前には存在しませんでした。意外にもそんなに昔からあるものではないのです。「健康」といえばどの時代どの地域でも同一のものとして存在していると思ってしまいます。しかし健康に限らずどのような概念でもそうですが過去にその社会において必要があったから名称が与えられ誕生しているのです。もちろん「健康」も過去のある時点で生成されています。その時点までさかのぼって社会背景を観てみることによって「なぜ健康という概念が必要になったのか?」「誰が生成したのか?」「どのように使用したのか?」を発見してみようと思います。

主観的に良いから客観的に良いへ

健康という言葉は江戸時代から明治に変遷する中で生成され普及していった言葉です。もちろん病気になりたくない、早く治したい、という良い体でありたい願望はあったと思うのですが、それは健康という概念ではありませんでした。江戸時代までで「健やか」「丈夫」という言葉はあったようですが記録された文献で「健康」という表記はなく健康という言葉が登場してくるのは天保七年(1836)高野長英が書いた『漢洋内景説』、嘉永二年(1849)緒方洪庵が書いた『病学通論』です。

なぜ「健やか」や「丈夫」という言葉とは区別して「健康」という新しい言葉が必要になったのでしょうか?江戸末期から西洋医学が日本に流入してきたことが影響しています。

西洋医学が普及する前、江戸時代の医学は患者の個人的訴えに対して治療を行っていました。これはどこが?どのくらい痛いのか?苦しいのか?という患者の主観的な体験から身体を見極めています。しかし西洋医学は違っていました。解剖学的、生理学的視点で身体を測定し、基準から逸脱した箇所に対して治療を行います。つまり解剖学的生理学的基準から逸脱しているのかどうか客観的に測定する技術を持っていたのです。それによって「健やかだ」「具合が悪いな」という本人の主観とは別に、第三者からの客観的な評価「良い身体」「悪い身体」を判定できるようになりました。そして客観的な評価によって「良い」と判定された身体を「健康」という概念で語られるようになったのです。

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