ナチス・ドイツの身体観 

ナチス・ドイツにとって良い身体とは遺伝子的に病気の素因が少ない身体のことでした。 

当時ドイツは一九二〇年代からガンの急増が問題になっていました。一九二八年には結核を抜いてガンが死亡理由の第二位となり「国家の敵」と言われるようになります。 

ガンを減らしていくためにどうすればよいのか?当時ナチス・ドイツのイデオロギーはこうです。ガンが発生するのは遺伝子のせいである、そのような遺伝子は減らしていかなければならない。優秀で健康なドイツ人の遺伝子に混ぜてはならないのだ。このようにナチス・ドイツは遺伝子を重要視していました。

あらゆる病気になるかならないかは遺伝子によってあらかじめ決まっている、それだけではなく身体能力、欠陥、犯罪者、結婚生活が上手く行かない人、こういったものも遺伝子によって決まっている。という思想を持っていました。これを生物学的決定論と言います。 

現在でも実際に統計をとってみると、病気には地域差というものがありますよね。例えば新型コロナウイルス感染では東京、大阪、沖縄、北海道が多かったりします。すると大抵は人が多い地域だからかな?みんなで集まる習慣があるからかな?と考えますよね。まさか「東京、大阪、沖縄、北海道民族の遺伝子はウイルスに弱いのだ」と考える人はいません。しかし極端に言えばナチス・ドイツはそういう思想を展開したのです。ガン発生の地域差、民族格差は全て「血」や家系、遺伝子に基づいて解釈されていったのです。 

一九三〇年代初頭の研究ではユダヤ人中高年層のガン死亡率はウクライナ人、ロシア人の二倍以上であると報告されています。さらに胃ガンに関しては桁外れに発生率が高いとも言われました。(日本人もそうなんですが)また糖尿病、扁平足、難聴、血友病、筋腫瘍、色素性乾皮症の発生率が高いなどあらゆる研究はユダヤ人遺伝子と身体的欠陥を結びつけようとしました。 

このような身体観によってユダヤ人と非ユダヤ人の血が混ざれば粗悪な遺伝子がヨーロッパ全体に広がる、と言われユダヤ人とドイツ人の結婚は禁止されていました。さらに恐ろしい計画はユダヤ人の精子や卵子のDNAを傷害し不妊を起こさせるため高レベルのX線を生殖器官に放射する実験です。肉体的なダメージは与えずユダヤ人を労働力としては使えるようにしたまま、生殖能力だけ破壊できないかという人体実験がアウシュビッツで行われました。 

全てはナチス・ドイツの身体観に基づく健康のためです。この社会での健康とは劣性の遺伝子を排除し、優秀な遺伝子による身体を作ることだと真剣に考えられていたのです。 

自己管理された日本の身体観 

ナチス・ドイツが病気は遺伝子説なら、日本の厚生省が提唱する概念は自己管理説です。 

ここ最近の日本を振り返ってみましょう。日本では戦後から結核が主要な病気であり死因の第一位だったのですが、一九五八年には一位脳血管疾患、二位悪性新生物、三位心疾患となり、その後もこの三大疾病は上位を占める状態が続いています。昔は怖い病気といえば感染症でしたが、今はこれら三大疾病ということですね。 

また三大疾病は死ぬ病気だから怖いというだけではなく、死をまぬがれても仕事ができなくなる、家族に迷惑がかかる、お金がかかる、など社会的、経済的な怖さも含まれています。このような怖さは個人だけではなく国家も同じです。病気になっても生き続ける長寿社会になったこと、出生数低下によって生産人口(働き手)が減っていくこと、高齢者が増えること、このような状況の中で膨らみ続ける医療費をどう賄うかが重要な課題になってきたのです。 

そこで厚生省は平成八年に医療費ひっ迫の大きな要因となっている脳血管疾患、心臓疾患、悪性新生物(がん)を成人病から生活習慣病というネーミングを導入しました。改名したわけですね。生活習慣による病ということで「個人の節制不足」を強調させ、国民へ生活習慣の意識を促したのです。運動し、タバコをやめ、お酒を減らし、野菜を食べれば防ぐことができるんだ、という印象を与えることで自主的に行動してもらうことが目的です。 

平成十二年には政府が決めた生活習慣に対する具体的な目標に向かって国民が主体的に行動し達成することを求める「健康日本21」を策定し、国民に日々の自己管理を促しています。さらに四〇歳から七四歳までを対象に「特定健診」というチェックを追加します。これが言わずと知れたメタボ健診のことです。メタボ健診に引っかかった人は「特定保健指導」を受けることになり自己管理のやり方を指導されます。 

このように少子高齢化社会に伴って、医療費の収支状況が悪化していくシナリオを回避するために政府主導で国民の自己管理をコントロールしていく必要がありました。 

私たちはたとえ病気になっていなくてもヘビースモーカーだったら、その人を健康な人とは呼びません。明るく元気な人でも腹囲が九〇センチ以上あったら、その人のことを健康な人だと呼びません。病気が無いだけではなく予防を心がけて自己管理された身体が健康体であるという観念は、ある時期にある目的を持って作られた観念なのです。このような身体観によって私たちは常日頃から健康を意識した生活を過ごそうとしています。 

一方でこの身体観は病人に対して「不節制の結果である」という偏見も起こしてします。本当は脳梗塞、心筋梗塞、がん、また糖尿病に関しても遺伝的素因、外部環境要因など本人の努力ではどうしようもない要因も関係して発生する病気です。生活習慣というのは数あるリスクファクターの中の一つでしかない。にもかかわらず生活習慣病という「当事者の節制不足」を強調することで「病気になったのは本人の責任だ」という差別や偏見も同時に起きている事も事実なのです。 

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