社会が正常か異常か決める

身体は数値化、データ化して客観的に良し悪しを判定することができる、という西洋医学的観点は日本にとって大きなパラダイムシフトでした。それまでの日本の身体観では病は「過去に造れる罪か、若(も)しくは現前に犯せる過ちによる」(万葉集)と言われたり、「先世の業」(平家物語)、さまざまなものによる憑依(源氏物語)などの霊的現象として扱われていたり「万病は皆、風寒湿によって生ぜざるはべし」(医方門余)、と気の流れの変動として、近代に入ってもハンセン病を天刑病として観るなど多様な観方をしています。いずれにしても目には見えないけど患者自身が感じるものか、シャーマン、陰陽師、祈祷師、漢方医らの勘と経験によって判断されるきわめて主観的で視覚化できないものでした。

それが西洋医学の視点によって身体は客観的に観測可能な物質になったのです。さらに明治政府は一八七四年に西洋医学を中心とした医療システムにするため「医制」という法規を交付し、国家全体として西洋医学を浸透させます。こうして日本人の身体は国家によって客観的に良し悪しを分類されるようになります。これは身体が良いとか悪いとかはもはや本人では採点できず、社会によって採点されるようになったということです。どんなに具合が悪くても「健康」と判定されることもあるし、どんなに快調だと思っても「病気です」と判定されることもあります。社会が正常と異常の境界線を決められるようになった、しかも客観的事実を根拠に決められるようなったということが身体観の変化だったわけです。

その社会の身体観によって誰が異常か決まる

さて「健康」が誕生したおかげで社会が正常と異常の境界線を決められるようになりました。つまり「健康な身体とはこうあるべき」という基準が生まれます。健康な身体といえばどの世界、地域、時代でも同一の規格であると思ってしまいますがそんなことはありません。イケメンの定義が時代や文化によって異なるのと同様に健康な身体の定義も違ってきます。戦時中であれば男は兵士が務まる身体、女は兵士を多く生むことができ労働可能な身体になりますし、高度経済成長期であれば一定のIQがあり生産性のある身体が規格になるでしょう。

また一人の人間も一生のうちで立場が変わりますから、その都度規格も変更されます。まず子どものころなら四十五分間じっと座っていられる身体、成人になれば就労し家庭を作り子どもを二人以上育てる身体、定年後なら医療介護費をあまり消費しない身体、が規格になってくるでしょう。

このように健康な身体とはその社会が求める人物像でもあります。社会が求める役割をこなせることが健康の基準となり、こなせる身体なら良し健康だ、こなせない身体は異常だ治そう、となるわけです。どんな文明でも私たちは生まれた瞬間から役割を与えられ、その役割をこなすよう社会から求められているのです。

では社会はそこに住む人々にどんな役割を求め、どんな身体を求めてきたのか。二つの歴史を見てみたいと思います。ひとつは第二次世界大戦中のナチス・ドイツ。もうひとつは平成に入ってからの日本の厚生省、それぞれ何を健康だと考え国民にどのような身体を求めたのか探ります。

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